顔が分からないネットの誹謗中傷

相手の顔も分からないから簡単に出来ると言うのがネット上での誹謗中傷です。残念ながら、この種類のものを制止できると言う画期的な決まりがないのが現状です。その理由は、言論の自由がその素となっているからです。何人たりとも、その人が口にする言葉、そしてその人により考えられ発表される言葉や文章などは、自由であるのです。言葉とは実に巧妙なもので、その言葉や文章の意味を深く理解できる、また理解できないと言う場合でも人の神経を逆撫ですると言う事に繋がるのです。相手の顔が見えないと言うインターネットの世界であるからこそ出来る事で、それに同調する人が増えれば増えるほどに、その投稿相手にあっては、人を傷つけた訳でもないのに、どうしてこういう文章が届くのか皆目見当もつかないと言う事になるのです。そしてそういう文章を見て理解する人と理解できない人がいる事も現実です。理解できる人には正に言葉の暴力として受け止められるのです。

ネットの誹謗中傷に善悪がない。

誹謗中傷の類は言葉の暴力が大抵です。大凡ネット上では、常に付きまとわれると言うケースが少なくはないのです。別に特定の人に対して発言した訳でもないと言うのに、そういう考え方は改めなさいと言うような言葉が返ってきたと思えば、その内に、その人と同じような内容の言葉が次々と投稿されるようになると、それだけで元の本人は自分のやった事が他人を傷つけてしまったと言うような錯覚に陥ってしまうと言うものです。その元を辿り、その文章を読み返してみても、特に問題はないと言う事に気付くのですが、けれども、その文章を受け止めた人物に当たっては、それを簡単には受け止めずに、深刻に受け止めてしまい、それが多くの人の共感となり、発信元に集中攻撃となるケースがあります。こういう類も誹謗中傷となるのです。善も悪も考えようによっては、非難される場合もあるのです。

ネットの誹謗中傷は何気ない言葉

今ではインターネットに様々な媒体から接続されます。もちろん子供でも簡単に携帯、スマートフォン、それ以外からも接続されると言う事で、様々な言葉が氾濫され、それが即座に表示されるのです。つまりは個人が何等かの言葉を流せば、数秒でその言葉は相手側に周知されると言う事で、微妙な言葉で、相手の事を疑い、そして嫌われると言う状況になる得る場合もあるのです。それが端を発して、その相手の中も友達もその言葉をウェブ上で見ている訳ですから、発信元が特に相手を悪びれて発言した事でもなく、非難した訳でもなく、自然に口から、頭から考えた言葉が相手から見れば、怒りを誘う言葉であるかも知れないのです。それが微妙な内容の言葉の巧妙さで、色んな角度から同調され、共感され、いつの間にか発信元が言葉で攻撃され、どうする事も出来ない状況に陥ると言う事が誹謗中傷の類です。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です